クイック目次
心と体はつながっている。
自分に自信が持てるまで、いろんな状況の中でもがいていましたが、それと同時に体に症状も出ていました。
自信のない自分は、ドンドンど壺にはまっていきます。
途中、克服しようと頑張ったのですが、心をコントロールする術や考え方を変えるなんて、子どもの私には到底分かりません。
時によって、その症状は変わりました。
- 人前に出ると、動悸がひどく、声が震える。
- 緊張するとお腹が張り、痛くなる。
- 人に見られていると思うと、体が硬くなりガチガチした動きになる。真っすぐに歩く事が困難。
意識せずに普通に動くことさえ、私には当たり前ではありませんでした。
私は、転勤族で育児もあり働けず、体の症状は7歳の頃よりどんどん症状が増えていきました。
また出産後、1人目の長男がとても繊細で、外出して普段と違うことがあると、夜泣きがひどく、外出が出来ませんでした。
私の実家のお風呂さえも泣き止まず、宿泊なんて出来ません。
宿泊すると、夜泣きで全く眠れないのです。
自ずと引きこもる生活になっていました。
そして、いつからか外出するのが怖くなっていました。
転勤時の保護者会での自己紹介は、逃げられず、まともに話せない恥をさらす結果でした。
勉強をスタート。勉強時間を増やすことで、いろいろ考える時間を減らす作戦を思いつきました。
すると、自宅にいる時は、少しずつ体の力が抜けていきました。
1人目の長男が中学に入る前に、夫が転勤になりました。
部活に入っていた長男は、部活の保護者総出でお別れ会を開いてくださいました。
私はその時、3人目と4人目も幼く、引っ越しの準備に追われ、心身ともに疲れていました。
また、人前に出ることが怖いことは変わらず、お別れ会にも出席することができず、長男だけの出席となりました。
部活のお友達と保護者の方が、たくさんのご馳走を用意してくれ、楽しい会だったそうです。
お別れ会の最後には、長男がきちんと挨拶をしていました。
お礼の電話はしたものの、人からの好意に対して、当たり前の対応ができない自分がとても情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
子どもだった長男でさえ、きちんとできているのに・・・。
今でも、その時のお友達や保護者の方にはとても感謝しています。
次に会う機会があったら、きちんとお礼を言いたいと思います。
「人にどう思われてもいい」と思うように決心し、子どもの催しも最低限で参加しました。
社会に出るためのリハビリとして、月1~2回のパートを始めました。
しかし、新たな症状が出てきました。
- 人と話す時に、自分の顔がどう見えているか気になり、口元が震えるようになる。
- 話す時にどもってしまう。
しなければならないと思うと、力が入り過ぎてしまいます。
歳と重ねていくと、いろんなことを考えてしまいます。
私は人一倍「不安」を感じるんでしょう。
不安な症状は、歳と共に増えていきました。
幸い、症状は生活が出来ないほどには至らなかったため、いつか症状が治まるのを信じ、忍びました。
すると、少しずつではありますが、症状が軽くなっていったのです。
今思うと、【勉強を始めて自分が前進していること】・【自分を受け入れられたこと】をできたからだと思います。
夫の転職で、夫の実家近くへ引っ越し。
家が近くになったばかりに、見えていなかった所まで見えてきました。
義父母や義兄弟と会うことが増え、義父母が兄弟によって思いの差があったり、夫の実家の風習に耐えられなかったり、考え方が全く違うことに気づきました。
また、弟も、私が避けたいタイプの人でした。
引っ越し後に、また新たな症状が出てきました。
- 目が圧迫される感じと眩しさ、違和感。
今までの症状は軽くなったものの、完治してはいません。
さらに目に症状が出てきて、先は長そうです。
あと・・・更年期に入ってきたかも。
回復しては悪化するの繰り返しです。
トータルで少し回復している感じです。
今の私になるための【大事な経験】でした。
【普通】って何でしょう?
私にとっての【普通】は、とても羨ましいものでした。
【普通の肌】は、アトピーで、年中カサカサ・傷がある私には、誰もがきれいな肌で美しかった。
【普通に動く】は、皆さんは???だと思いますが、意識しないで動くことは、私にとっては、しなやかで羨ましかった。
私は、普通のことが普通じゃなかったので、【普通】ってことが、なんとありがたいことか知っています。
症状が完治はしていませんが、普通に近づいていることに感謝しています。
思えば物心ついた頃から、つらい思いや経験はしたけれど、普通のことに感謝できたり、弱い人に寄り添える自分になっていると思います。
これから、いつ悪い状況になっても、考えを変え、前に進んでいく自信があります。
取り返しのつかない失敗はダメだけど、何でも経験なんだと知りました。
私の子どもたちの中には、私以上に繊細な子どもがいます。
私が、もがき苦しんだような経験は、させたくはありません。
しかし、訪れた不幸な経験も一緒に寄り添い、考えようで感謝に変える術を教えたいと思います。
卑屈な私だったのに、今の気持ちは穏やかです。
今の私があるのは、これまでの経験があったからだと思うと、「私、頑張ってた❀」と自分で自分を褒めることができるようになりました。o(* ̄︶ ̄*)o