クイック目次
前に向かって進んでるのに・・・安らぐ時間がほしい。
私は今、充実した生活を送れています。
仕事・勉強・ブログ制作。
確実に前進していることも実感しています。
しかし、これは【やりたいこと】のようで、【やらなければいけないこと】【どうしようもなくやっていること】でもあります。
目の前のことに必死になり、力が抜けない状態の私。
気心知れた友だちと会い、気軽に話ができる環境が無いことを、苦しく思うことが時々あります。
夫が前職で転勤族だった頃、定期的な引っ越しがありました。
友達がやっとできても、引っ越しでまた一人になるのくり返し。
今回の引っ越しは、夫の転職でほぼ永住決定。
でも私にとっては新天地。
またも友達0からのスタートになっています。
引っ越しをくり返す中で始めた勉強は、悩む時間を与えないアイテムとなり重宝しています。
勉強を始めた当初は憶えることの緊張感・続けるという根気強さ等、力が入ることの多い状態で、決して【楽しい】状態ではありません。
少しづつの前進は少しづつの喜びとなっていましたが、気を抜くことはありませんでした。
一般的に言う実家への帰省も、私にとっては安らぐ機会というよりは、両親の様子を知るため・孫に合わせるための恒例行事になっています。
両親もかなり歳をとり「帰っておいで」と言ってはくれるものの、帰省時は食事の準備・泊まった後の片づけや洗濯があり、休む暇はありません。
ひと通り家事を終えておかないと、両親の疲労は大きく、2,3日体調を崩すことも多々あります。
このような理由もあり、実家に帰っても友達に会う余裕や気力が無くなるくらい、疲弊して帰宅するのです。
気心知れた友達に会うことは、私のささやかな希望です。
一人で楽しむことを覚えましたが・・・。
私の一番の友だちは優しくて、価値観が同じ幼なじみ。
父親同士、働いている会社が同じで、私は生後半年から社宅に住み、その子とずっと同じ環境で過ごしました。
お互い結婚して、お母さん。
今は仕事と家庭で忙しい年代です。
友だちは忙しく、近くに住んでもいない。
私は人に気を遣わず、自由にできると一人で出かけるようになりました。
好きな景色の場所・映画・美術鑑賞・ピアノコンサート・買い物・建物見学等、全て一人。
好きなものを気兼ねなく楽しめて楽と思っていたけど・・・一人が多すぎた・・・。
少しでいいから共感が欲しくなった・・・。
今まで平気だったのに、「友達と飲みに行く」「実家へ帰る」ことを頻繁にしている夫をそばで見ていると、どうしようもなく羨ましくなりました。
子どもたちも友達と出掛けて行く。
そして、私を求める人がいないと思い込み、一人気持ちが沈んでしまう。
同じ年代のお母さんたちはどうなんだろう。
今、私の周りのお母さんたちは、働きながら子育てしている人が多い。
田舎なので転勤族もいなく、大抵の人が地元の人ばかりです。
ここに住んで1年半。
寂しさの蓄積が大きくなり、どうしても少しの共感を得たくて、意を決して気の合いそうな働くお母さんを飲みに誘いました。
結果、週末は地元の友だちと約束有り。
私は「今度飲みに行けたらいいな」とメールすると、「ごめんね。いや、行けたらじゃなくて行こう!」という返信。
神対応のメールに心が救われました。
皮肉にも、こんな時にいい人を見つけたようで嬉しかった❀
仕事も入社して1年が経ち、職場の人たちに徐々に慣れてきてるようで、これまで長時間勤務をしたことが無かった私。
本来の自分をどこまで出していいのか分からず、受け入れられるかも不安でいます。
しかし、頑張って職場でも1度飲みに誘ったことがありました。
急な誘ったので断られるとは覚悟していましたが、寂しさの蓄積から頑張って移した行動でした。
やっと誘ったのに相手の反応をきちんとは見れず、「無理しないで大丈夫です。」と独り相撲。
誘った後も、どんな風に思われたんだろうと気持ちが沈みました。
【寂しい=孤立】は人を衰退させます。
でも、「これに負けたくない、何かないか・・・、勉強しかないか・・・。」
何も考えず、前に進めること。
勉強するしかない。 自分を守るために・・・。
ツラかった過去がまた蘇ってきました(-_-;)
以前もこんな気持ちになったことが2度ありました。
さくら
【1度目】やはり夫の転勤先で、末っ子を妊娠中。
身重な体での家事・地域の子ども会活動(そこでは子ども会に入るのが必須)に追われ、子どもたちが思うように手伝ってくれませんでした。
どうしようもない歯がゆさで、夕方ご飯を作りあげて、泣きながら家を飛び出したことがありました。
夕日が沈み、暗くなった公園で、行く当てのない自分が悲しかった。
さくら
【2度目】また別の引っ越し先で子どもたちが学校に馴染んでいく中、私の付き合いがある相手は、子どもを介したママ友ばかり。
ママ友が本当にいい人なのか、分かるまでは不信感が募ります。
不安な気持ちの中、子どもたちが次々に病気になり、精神的にも肉体的にも疲れ果て、助けを求める場所がないのが悲しかった。
ツラかった中、この時は勉強を始めていたので、気持ちの回復は早かったような気がします。
今回で友だちがいなくて落ち込んだ3回目。
やはり気を許せる人を見分けるまでに時間がかかります。
また、私の良さを気づいてもらえるまでも時間がかかります。
でも自分一人ではツラいから、早く頼れる友達が欲しくなり焦ってしまう。
私の心の悲鳴が誰かに届かないか悶えますが、当然誰にも届くことはありませんでした。
後にどの引っ越し先でもよい友達はできましたが、引っ越し後3年くらいはこれをくり返しています。
だいぶ自分時間を楽しめ、【孤独=自分と向き合える有意義な時間】と分かってきましたが、今の私は【孤立状態】。
淋しさが伴っています。
淋しさで心が弱り、身体も弱っていく。
前々回のブログ「離れなければならない人」で、夫が寄り添ってくれなかった時は、【孤立】でご飯も食べれず、これを痛感しました。
何も変わらない時も、やはり【学び】でした。
今、私がツラい気持ちでいることを夫に話しました。
心が悲鳴を上げていることを伝えたのです。
しかし、地元にいるのが当たり前になってしまっている夫。
夫にとって当たり前の状態は、私にとって当たり前じゃない。
こんなに言っているのに、伝わらない・・・。
以前の転勤先では、お互い知らない土地への引っ越しだったため、不安な気持ちは同じでした。
それを今回は忘れてる。
夫の地元生活は悠々自適な生活。
仕事に行き、実家に行き、友達と遊び、子どもと遊ぶ。
私は夫の転職により不足分の収入を得るために働き、これからの収入を増やすための勉強や新しい仕事がないかと人脈を広げるための活動を、前向きな気持ちで頑張っています。
つい最近までの「離れなければならない人」との苦しい状況の中でも、人脈を広げるための活動は続けていました。
今の状況で、私の地元に帰って「友達に会う」という息抜きも、今こなしている日常にプラスして動く力はありません。
長期休みで私の実家への帰省時は、年老いて以前のように動けない母の代わりに家事をこなさないといけない。
実家へ帰省した後は疲弊しています。
実家の手伝いで友だちとはなかなか会えません。
一番責任が重くなる年代と分かっています。
今まで両親に充分甘えてきました。 世代交代です。
でも、どこまで頑張ればいいのか・・・。
友達は早い人では孫が生まれたり、子育てと皆忙しそう。
気の許せる友達との懐かしい話や近況報告等、地元の方言で話したい。
夫にとってのごく当たり前の状況は、私にとってはとても遠い願望となっています。
私の【学び】は自分を守るためにやり始めた行動だと思い出しました。
友達のいない淋しさを埋めるために・・・。
歳をとれば、そのうち私も友達も自ずと時間ができる。
そう自分に言い聞かせて、友達と再会できた時は素敵な自分でいたい。
時々悲鳴をあげつつ、【孤独=自分と向き合う時間】を大切に、前進したいと思っています。